それいけ、アラカン❣️

アメリカ生活37年め、ベジタリアン39年の心のつぶやき

思えば遠くへ来たもんだ😂

運動好きでヘルシー志向!
アメリカ生活、健康な暮らし、家族のことなど思いついたままに書き綴っています。

あの頃を思い出しながらランチしました

昨日は、以前一緒に仕事をした同僚と
ランチをしてきました。


久しぶりです、1年半ぶりでしょうか?


ちょうどその頃です
私の母親の体調が少しずつ崩れだしたのは。



実は、あの頃と言えば


半年先を目処にして、私のキャリアに
終止符を打つことを考えていた頃です


そう、この会社を辞めるだけでなく
リタイアするという意味で。


もちろん理由は、年老いて行く両親のためです


日本を離れてから33年経ちます。。。😲


毎年、子供を連れての里帰りはしてたけど
距離的に考えると、失くなった時間というのは
やはり大きいですね``




その頃と言えば、ずっと元気だった母が
80になってから少しづつ弱っていく頃。


また、我が家も、末の娘が遠くの大学へ行き
ちょうどエンプティーネスターになったばかりの私達。


旦那を留守番させておき、一人で1−2ヶ月ほど帰国し
母娘の温泉旅行でもして、楽しませてあげよっ!


そう計画していた頃だったのです。

母の描いた水彩画



急に母の体調が崩れ始めた夏頃
そばで面倒を看てあげようと
気持ちは昂りました。


今まで、遠すぎて何もしてあげれなかったけど
この時とばかりは、よし頑張るぞ!でした。




そして、すぐに仕事を辞めることをボスに伝え
すぐではなかったけど、帰省したというわけです。


会社のボスから、’今まで仕事をありがとう’
と、最終日には花束まで頂きました💐


半年後には辞めるつもりでいたのに
でも嬉しかった❣️




もうすぐアメリカ在住34年となりますが
まさかと思っていたあの健康優良婆の母に


えっ、どうした?


母親の世話、看病がやって来る日なんて
最後の最後まで想像もできなかったし


してもなかった!


それが、実際やってきた時は
嘘のようで、大ショックで、でも決心しかない!


とてつもない高い崖から落ちていく自分を
何とか支えて、歩き出す


そんな感じでしたね、あの頃は。




仕事を辞めて帰国するチャンスを伺いながら
2週間経ち、1ヶ月が経ち…


私の心の中は、あらゆる事が重なりあい
葛藤の真っ只中に立たされていました。



母親に代わり得るモノは存在しない。


時間と闘ってはいけない。


時間を待ってはいけない。



今すぐ飛んでって世話はできなくても
顔を見せてあげることはできる


そう、FACETIMEで毎日のように
母と話したり、母の様子を見たり…


時には、日本の家族皆が寝てしまった夜も
一人で、母の様子を見守っていたり…


日本と米国西部の時差は17時間で
交代で母の様子を見ることができ
ある意味では良かったです。


このビデオ画像は、どんなに離れていても
その人の様子を見てられること


このガジェット、こういう時にも使えるなんて
有り難いかぎりでした。



そう、1週間経ち、2週間待ち
だんだんと母の歩きが弱くなってる


何で?


料理大好きなあの母が、料理してないって?


これは大変なことだわ!


でも、今までのようにバウンスバックで
すぐに元に戻るよ、大丈夫よっ!


そう強く信じてたんですが…


というか、崩れていく母という存在を
アクセプトしたくなかったんですね


それが真の心理なんです、後で考えると…


もうちょっと待ってほしい
もうちょっと頑張ってほしい❗️




その間、仕事場では、新しく雇われた人へ
仕事を教えて引き継ぎをしたりなんたり…


それが終わるとすぐに飛び立って日本へ✈️



。。。という感じで、その頃の微妙な時期に
一緒に働いていた同僚に会ってきました


楽しかった!


でも、あの葛藤に苦しむ仕事の最終月を
ちょっと思い出したということ


相手に、その話もちょっぴりしましたが〜




あ〜、母の思い出は尽きないです。


家族の誰も知らない私と母だけの会話というか
秘密というのもあるんですよ…😁



限りなく考えてしまう母の旅立ちを経験し
人生の見方が変わったと言ってもいいくらい


生命の尊さ、そして人の心の痛みを
今まで以上に強く感じるようになりました。




来月には、母の日が来ますね。


まだまだ母のこと懐かしくって
想いは止むことがないようです💕

母の花壇


母親の愛情は偉大です❣️


私も2人の母親やってますがね〜
そう思ってくれてるかな?