初公開、CA職の思い出話し😉
おはようございます。
昨日のブログで、フライトアテンダントとしての
感想を何件か書きました。
たまにあの頃のことを思い出す時があるのです。
でも昔に比べると
かなり遠い昔になってますが…
今ちょうど思い出した瞬間で
このままオンにしておきます。
お聞きください〜 笑
私が飛んでた時期は、Boeing 747 SRとLRの
最盛期でした。
いわゆるジャンボの時代です
成田ーアメリカやヨーロッパ線では
殆どがこのジャンボ機でした。
座席が400近くもあるという
恐ろしい程に人が乗れる機種なのです。
ファーストクラスから階段を上ると’アッパーデッキ’
2階があるのです。
つまりコックピット操縦室のドアを前に
座席があるのです。
そこには20席ほどのシートがあり
ギャレー(キッチン)も2階のお客様専用です
アッパーデッキの担当になった時は
最高に楽しく仕事ができました❤️
そこに座れた人達もラッキーというか
なんというか…
20人前後のお客様相手に
2人のスチュワーデス
たっぷりと会話やお世話ができます。
また1階のキャビンとは違う手順で
特別サービスも可能でしたね。
そうそう、アッパーデッキには
ファーストクラス用のベットが置かれた機種も
ありました。
最近のカプセル式じゃなく
折りたたみ式でもないベッドです。
場所をとるから、5−6つのベッドしか
なかったと思います。
座席を増やせ増やせの時代でした😵
323という乗客カウントを
うっすら覚えています…
今思うと、詰めれるだけ詰め込めって感じで
信じられないです❗️
超時間の直行路線では
乗務員も通常のダブルで乗ってました。
ニューヨーク線が投入された頃
確か13人のところが26人乗り込んでた?
時間が来ると、13人が交代して
キャビンの仕事を継続です。
出番までは、乗客に混ざって
後部の座席に座ってましたよ。
出番のちょっと前に準備をし始める…
着替えとか休憩用にバンクベットという
ちょっとした部屋が用意されてるのです。
あのジャンボ機種の真ん中辺りに〜
成田ーサンフランシスコ線は
乗務員を3−4人増しで飛んでたでしょうか?
私が辞める頃には、NYC路線もダブルでなく
乗務員を増やす方法をとったようです。
ガソリンが上がりだしたあの時期でしょうか?
ジャンボ747は、4つのエンジンがあり
機体もドデカく、頼もしいお兄ちゃんって感じっ❣️
飛行機好きが言うには、Boeing 727、DC-8
こそが真の飛行機だと言います。
この2機種、乗った回数は少ないけど
思い出は沢山あります。
右2席−左2席の座席配置
B−727は、後部入り口からお客様を
搭乗させたこともありました。
個人的にはあまり好きじゃなかったけど。
座席数が少なく、ゆったりサービスはできたけれど
幅が狭すぎる!
南廻り路線というのがあり
DC−10の機種を使用です。
マクドネル • ダグラス社の飛行機
一番乗り心地悪い機種でしたね。
客として乗るのも嫌ですわ!
とにかくよく揺れを感じるというか
音がうるさいし、使いにくいし
マイナスの思い出の方が多いですね。
成田ーバンコックーニューデリーローマ線
成田ーバンコックーカラチーギリシャ線
このフライトは、合計18日間の最長スケジュールで
家を長く空けたものです。
今ではヨーロッパ路線は直行便となり
担当乗務員も一週間未満で帰ってくるらしく
内容もかなり変わったみたいです。
北回り路線ではジャンボ747❗️
ファーストクラスのベッドが2階に設けられ
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シートベルトサインが消えると同時に2階へ上がり
到着の食事までずーと寝るお客様もいましたね。
ビジネスクラスの乗客には搭乗と共に
シャンペンサービスをしたりとか…🥂
ファーストクラスで大変な思いをしたのは
ワインボトルを開ける時🍾
乗客に飲みたいワインを選んでもらい
そこまでは問題ないのですが…
お客様の目前でコルクをカッコ良く開けて
グラスに注ぐ…🍷
昔は、今みたいに便利なワインオープナーが
なかったので、まあ〜開けるの大変なこと!(^_^;)!
コレ、乗務員同士のジョークにもなったくらいです。
「足と足の間にボトルを挟んで
コルクを抜かないようにね❗️」
特に女性クルーの場合は気を付けないと!
男性パーサー達はやってましたけどね(笑)
それと、あの頃は着物サービスがあったのですよ。
わっ、ウェブサイトから取ったこの画像
年代がかなり古いですね`
私の時代とはちょっと違う感じ〜
これは80年代じゃなく、70年代?
まっ、こういう感じで着物サービスしてました。
私の時代は、ファーストクラスをまず初めに
エコノミークラスまで行くのです、草履で!
着物は腰から真っ二つに分かれていて
マジックテープで上と下を合わせるだけ (笑)
乗客の食事が終わった頃を見計らい
洗面所で急いで着替えるのです
この着物担当は通常、新人スチュワーデスです。
私も新人の時、2回ほどやりました
やらされました。
あの狭いトイレで着替えるのに汗ダクダク
着替える手は、ガタガタ壁に当たるし、
足袋に草履を履いて
通路を歩き回らなきゃいけない😨
あれは完全なるマイナスの思い出
あの狭い機内で、満席の状態で
しかも狭いトイレの中で、
しかも短時間で着替えて
笑顔で日本の文化をお披露目です。
汗でお化粧はくずれるし
かなりのプレッシャーでしたね。
あんなに必死で着物に着がえるなら
喜んでもらいたいですよ。
特に海外からの乗客にとっては
初めて見る着物姿かもしれないし⁈
北回り線は、夜に成田出発なので
眠気だらけの乗客が多いのです
それを知るチーフパーサーは
照明を暗くする機会を伺います。
せっかく汗だくで着物に着替えたのに
照明を消されては、元もこうもない!
新人なら誰もがこの難関を超えなければいけない
そんな時代でした。
今考えると、あれはすごく危険なことでしたね。
もし何かあった時とか、緊急時に
乗客を助けるどころか、本人は裾と草履で
歩くことすらおぼつかない…
そうそう、ハワイ路線では、ムームーを着て
機内サービスしてましたよ🌺
ムームーの制服の雰囲気はこんな感じだったかな?
ムームーサービスのフライトでは
成田のオペレーションセンターで着替えます。
男性クルーはハワイアンシャツを着るだけ
女性クルーはワンピース型の足首までのムームー
レッドとブルーの選択がありました。
殆どが着用… 全員だったかも?
涼しくて良かったけど、足首までのドレスなので
やっぱり歩きにくかったですね。
でもこれも緊急事態になると
とんでもないですよね!
わ〜、どんどんあの頃の事を思い出します
次から次へと…
酸素マスクのデモンストレーション
半年ごとのエマージェンシー訓練
初めての寮生活で思ったこと
緊急着陸も経験したし
最悪のタービュランスの経験もしました。
飛行機の故障でインドのニューデリー空港で
機内に缶詰めとなった12時間
しかも乗客も一緒でした💥
いろんな事がありました。
嬉しい事、苦労した事、困った事…
同時に、良い経験もたくさん経験し今に至る
と言えるところもあります。
20代の真っ只中
そして今...
まさに「思えば遠くへ来たもんだ」
それをヒシヒシと感じるこの頃です。
では、良い日をお過ごしください。
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