それいけ、アラカン❣️

アメリカ生活37年め、ベジタリアン39年の心のつぶやき

思えば遠くへ来たもんだ😂

運動好きでヘルシー志向!
アメリカ生活、健康な暮らし、家族のことなど思いついたままに書き綴っています。

初公開、CA職の思い出話し😉

おはようございます。



昨日のブログで、フライトアテンダントとしての
感想を何件か書きました。


たまにあの頃のことを思い出す時があるのです。


でも昔に比べると
かなり遠い昔になってますが…



今ちょうど思い出した瞬間で
このままオンにしておきます。


お聞きください〜 笑



私が飛んでた時期は、Boeing 747 SRとLRの
最盛期でした。


いわゆるジャンボの時代です


成田ーアメリカやヨーロッパ線では
殆どがこのジャンボ機でした。


座席が400近くもあるという
恐ろしい程に人が乗れる機種なのです。



ファーストクラスから階段を上ると’アッパーデッキ’
2階があるのです。


つまりコックピット操縦室のドアを前に
座席があるのです。


そこには20席ほどのシートがあり
ギャレー(キッチン)も2階のお客様専用です


アッパーデッキの担当になった時は
最高に楽しく仕事ができました❤️


そこに座れた人達もラッキーというか
なんというか…


20人前後のお客様相手に
2人のスチュワーデス


たっぷりと会話やお世話ができます。


また1階のキャビンとは違う手順で
特別サービスも可能でしたね。


そうそう、アッパーデッキには
ファーストクラス用のベットが置かれた機種も
ありました。


最近のカプセル式じゃなく
折りたたみ式でもないベッドです。


場所をとるから、5−6つのベッドしか
なかったと思います。


座席を増やせ増やせの時代でした😵


323という乗客カウントを
うっすら覚えています…


今思うと、詰めれるだけ詰め込めって感じで
信じられないです❗️



超時間の直行路線では
乗務員も通常のダブルで乗ってました。


ニューヨーク線が投入された頃
確か13人のところが26人乗り込んでた?


時間が来ると、13人が交代して
キャビンの仕事を継続です。


出番までは、乗客に混ざって
後部の座席に座ってましたよ。


出番のちょっと前に準備をし始める…


着替えとか休憩用にバンクベットという
ちょっとした部屋が用意されてるのです。


あのジャンボ機種の真ん中辺りに〜



成田ーサンフランシスコ線は
乗務員を3−4人増しで飛んでたでしょうか?


私が辞める頃には、NYC路線もダブルでなく
乗務員を増やす方法をとったようです。


ガソリンが上がりだしたあの時期でしょうか?



ジャンボ747は、4つのエンジンがあり
機体もドデカく、頼もしいお兄ちゃんって感じっ❣️



飛行機好きが言うには、Boeing 727、DC-8
こそが真の飛行機だと言います。


この2機種、乗った回数は少ないけど
思い出は沢山あります。


右2席−左2席の座席配置


B−727は、後部入り口からお客様を
搭乗させたこともありました。


個人的にはあまり好きじゃなかったけど。


座席数が少なく、ゆったりサービスはできたけれど
幅が狭すぎる! 



南廻り路線というのがあり
DC−10の機種を使用です。


マクドネル • ダグラス社の飛行機
一番乗り心地悪い機種でしたね。


客として乗るのも嫌ですわ!


とにかくよく揺れを感じるというか
音がうるさいし、使いにくいし


マイナスの思い出の方が多いですね。



成田ーバンコックーニューデリーローマ線
成田ーバンコックーカラチーギリシャ線


このフライトは、合計18日間の最長スケジュールで
家を長く空けたものです。


今ではヨーロッパ路線は直行便となり
担当乗務員も一週間未満で帰ってくるらしく
内容もかなり変わったみたいです。



北回り路線ではジャンボ747❗️


ファーストクラスのベッドが2階に設けられ< p=""><>


シートベルトサインが消えると同時に2階へ上がり
到着の食事までずーと寝るお客様もいましたね。


ビジネスクラスの乗客には搭乗と共に
シャンペンサービスをしたりとか…🥂



ファーストクラスで大変な思いをしたのは
ワインボトルを開ける時🍾


乗客に飲みたいワインを選んでもらい
そこまでは問題ないのですが…


お客様の目前でコルクをカッコ良く開けて
グラスに注ぐ…🍷


昔は、今みたいに便利なワインオープナーが
なかったので、まあ〜開けるの大変なこと!(^_^;)!


コレ、乗務員同士のジョークにもなったくらいです。


「足と足の間にボトルを挟んで
コルクを抜かないようにね❗️」


特に女性クルーの場合は気を付けないと!


男性パーサー達はやってましたけどね(笑)



それと、あの頃は着物サービスがあったのですよ。


わっ、ウェブサイトから取ったこの画像
年代がかなり古いですね`


私の時代とはちょっと違う感じ〜


これは80年代じゃなく、70年代?


まっ、こういう感じで着物サービスしてました。


私の時代は、ファーストクラスをまず初めに
エコノミークラスまで行くのです、草履で!


着物は腰から真っ二つに分かれていて
マジックテープで上と下を合わせるだけ (笑)


乗客の食事が終わった頃を見計らい
洗面所で急いで着替えるのです


この着物担当は通常、新人スチュワーデスです。


私も新人の時、2回ほどやりました
やらされました。


あの狭いトイレで着替えるのに汗ダクダク
着替える手は、ガタガタ壁に当たるし、


足袋に草履を履いて
通路を歩き回らなきゃいけない😨


あれは完全なるマイナスの思い出


あの狭い機内で、満席の状態で
しかも狭いトイレの中で、


しかも短時間で着替えて
笑顔で日本の文化をお披露目です。


汗でお化粧はくずれるし
かなりのプレッシャーでしたね。


あんなに必死で着物に着がえるなら
喜んでもらいたいですよ。


特に海外からの乗客にとっては
初めて見る着物姿かもしれないし⁈



北回り線は、夜に成田出発なので
眠気だらけの乗客が多いのです


それを知るチーフパーサーは
照明を暗くする機会を伺います。


せっかく汗だくで着物に着替えたのに
照明を消されては、元もこうもない!


新人なら誰もがこの難関を超えなければいけない
そんな時代でした。


今考えると、あれはすごく危険なことでしたね。


もし何かあった時とか、緊急時に
乗客を助けるどころか、本人は裾と草履で
歩くことすらおぼつかない…



そうそう、ハワイ路線では、ムームーを着て
機内サービスしてましたよ🌺



ムームーの制服の雰囲気はこんな感じだったかな?



ムームーサービスのフライトでは
成田のオペレーションセンターで着替えます。


男性クルーはハワイアンシャツを着るだけ


女性クルーはワンピース型の足首までのムームー


レッドとブルーの選択がありました。


殆どが着用… 全員だったかも?


涼しくて良かったけど、足首までのドレスなので
やっぱり歩きにくかったですね。


でもこれも緊急事態になると
とんでもないですよね!



わ〜、どんどんあの頃の事を思い出します
次から次へと…


酸素マスクのデモンストレーション


半年ごとのエマージェンシー訓練


初めての寮生活で思ったこと


緊急着陸も経験したし
最悪のタービュランスの経験もしました。


飛行機の故障でインドのニューデリー空港で
機内に缶詰めとなった12時間


しかも乗客も一緒でした💥



いろんな事がありました。


嬉しい事、苦労した事、困った事…


同時に、良い経験もたくさん経験し今に至る
と言えるところもあります。


20代の真っ只中


そして今...


まさに「思えば遠くへ来たもんだ」


それをヒシヒシと感じるこの頃です。



では、良い日をお過ごしください。