それいけ、アラカン❣️

アメリカ生活37年め、ベジタリアン39年の心のつぶやき

思えば遠くへ来たもんだ😂

運動好きでヘルシー志向!
アメリカ生活、健康な暮らし、家族のことなど思いついたままに書き綴っています。

母を偲んで…

あ、またまた虚しさが込み上がってきました。😢


今日のお昼まで、ずっと上向き気分だったのに
今は虚しさで一杯です。


旦那は仕事で遅くなるし、寂しいとこあるのかな?


いや、そんなはずないと思うけど〜


でも、私は気ままな夕方を過ごしています。


TVみたり、スナックボリボリしたり…


そして夕食は、簡単にディナーサラダで
済ませることにしました。


気ままと言っても、母を偲んで心が痛んでますが。

去年の11月に、脳梗塞で亡くなった母の死が
未だに納得できない。


私にとって、母の存在は特別に強いものでした。


その理由はわかってます。


それはまた別の機会でつぶやくと思います。


そうか、もう電話やフェースタイムで
母と話すことが2度とない


と思うと、寂しくて悲しくて…


この時間に(こっちは夕飯時)よく母へ
フェースタイムをしたものです。


お互い料理しながら(母は昼食作り)、画面を見ながら
その日の出来事を話したものでした。


時には相談事があってかけたり、


梅干しの作り方教えてと急に思い立って
フェースタイムしたり…


長々と色んな事を2人でお喋りしたものです。


でも、もうそれがなくなった。


何か困った時に母に相談することもできない。


2度と母と話すことはない。


そう思うと、どこか闇の世界に吸い込まれて
行き止まりの真っ黒な穴でボーと唖然としてる自分が見えます。



母の顔写真を、私のPCの横に置いてるんです


ちょくちょく母の顔が見れるように。


”おはよう、お母さん”、”おやすみね!” とか
そっと独り言をいうことがあります。


昨日は、あんなに笑ってた私が
今は虚しさで辛いです。


いつも母の写真を見れるということは
反対に思い出し過ぎて、良くないかな?


と思って、今。その写真を
ちょっと離れた棚の上に置きました。


とにかく考えてしまうのです


Eメールや電話、フェースタイムで話した元気な頃の母
そして母の面倒を看てたあの1ヶ月間を。



私がよく聴くポッドキャストがあるんです。


朝のメークアップの時、車で長時間走ってる時、
料理してる時とか、それを聴いています。


お気に入りは、Dr. ウェイン• W • ダイアー


彼は ’モチベーションの父’ とも言われた
スピリチュアルな人でした。


そのエピソードの一つで彼が話していました。


”人間は、Not Being (無の存在)から、Being (存在)
そして必ずまたNot Being (無の存在)と同じ場所へ
帰っていくもの


だから死は自然なことであり、むしろ出発地点へ
戻って行けることを喜ぶべきなんだ。


どこかへ行ってしまったわけではない
魂はいつもここにいる”


確かに、この世に生まれれば誰もが死んでいくのは当然


でも喜ぶべきことと言われても
感情的についていけないです。


ただ、今の母はもう自分の病気のことで悩むこともない
悲しむことも、苦しむこともないのは確かです。

母に症状が出始めた頃、私によく聞いてきました。


”わたしね、悩みがあるのよ” と…


しょんぼりとベッドから起き上がり
横に寝ている私に聞いてくるんです。


”どうしてわたしは、こうなったの?
どうしてデイケアへ行かないといけないの?”


私は ”とにかく今は毎日デイケアでリハビリ頑張って
しっかり歩けるようになることが大事なのよ。


”そして旅行一緒に行こうね” 


としか言えなかった。


アルツハイマー病のことは、母には言えなかったんです。


それこそ母にとっては、死の宣告だと思ったんです。


母は、アルツハイマーと診断された時点では
なんとか話もできたし、自分の状態が変だともわかっていた。


あんなに嫌がっていたデイケアも
昔の自分に戻るためのリハビリと信じて
やっと行くようになったんです。


そう、母は、また昔の健康優良婆に
戻るつもりだったんです。

実は、アルツハイマーと診断される3ヶ月前
母は脱水症状で呂律が回らなくなったりで
救急車で運ばれること5回!


でも、病院の点滴で、すぐ回復するので
家族はただの脱水症状だと安心していたのです。


でもその後、母は頭が痛いと訴えるし、食べたがらない、
寝ることが多くなったんです。


それが原因で、足の筋肉も弱り、歩きにふらつきが出てきた
と私は思っていました。


医者から、母はアルツハイマー認知症でしょうね
と診断された後も、’そうかな〜?’と、私は半信半疑!


ウェブサイトで検索しまくりました。


というのは、私が実家に1ヶ月少々滞在してる間
母の症状があまりに速く進行しすぎる…


これって本当にアルツハイマー病なの?
って不思議に思ったんです。


幻覚、徘徊も何回かありました。


でも良いお薬のおかげでか
その症状も出なくなったのです。


あとはデイケアで、歩いて、食べて、笑って
大勢の人に囲まれて、楽しさを感じることができるのなら


私は母の病気を受け入れて
母と一緒にがんばるぞ!


しっかり介護をするからね
と、涙しながら嬉しく思ってました。


認知症でも、自己の感情はしっかりもっている
とウェブサイトで知りました。


とにかく微笑む母が嬉しくって、


美味しくパクパクお代わりして食べる母が嬉しくて、


それだけで私はラッキーだと思いました。


通常アルツハイマー病の進行度が5年〜8年のところ
母の場合は、約2ヶ月程で全ての道のりを通りました。


進行が速すぎました。


もっと鈍行列車で時間をかけて欲しかった。
もっと一緒に居て、介護してあげたかったです。

母が亡くなってから、Train の ’Drops of Jupiter ’ 
の歌詞に惹かれ(曲も良いです)、何度も聴いています。🎶🎧


’彼女はやっと戻ってきたよ
髪の毛は木星の雫で濡れたまま
……
天の川は綺麗だった?
太陽の周りを超えることできた?
流れ干しから落っこちなっかた?’
やっと戻ってきたね
……… 


作詞者も、自分の母親を偲びながら
この曲を書いたということです。


どこかへ行ってしまったわけではない
魂はここにいるんだと、歌っています。



天国へ逝って3ヶ月となろうとする母
今頃、何してるのかな、どこにいるのかな🎈


💕(写真は、全て母が撮ったものです)