それいけ、アラカン❣️

アメリカ生活37年め、ベジタリアン39年の心のつぶやき

思えば遠くへ来たもんだ😂

運動好きでヘルシー志向!
アメリカ生活、健康な暮らし、家族のことなど思いついたままに書き綴っています。

その心の穴は、どうなるの?

まだ、つぶやいております…


母のデイケアサービスです。


とにかく今まで以上に忙しい日課を送る母
それが良いのでしょうね。


じっと同じ所に、一人で座ってないってことが。


全く寝ない夜もあったのに、それでもデイケアに行き
お昼寝なしで帰ってきたこともあったんです。


タフな母、昔と全く同じです。💪🏻


なんとかデイケアにも慣れて
楽しく通ってる母の姿をみて
私は何とか落ち着きを取り戻しました。


家で忙しくしているであろう旦那のことも考え
1ヶ月の日本滞在を一旦終えて
アメリカに戻ることにしたのです。✈️


家に戻っても、母の様子を見たくって
毎日のようにフェースタイムはしました。


私といえば、仕事を辞めたし
時間は一杯あったし…


何時間もオンの状態で
母の様子を見続けました。


時には、「おかあさん、何食べてるの?」
と、突然大声で聞いてみたり


なんかストーカーみたい(笑)


母は、ipadの画面に出てる私の顔を
見つけることができずキョロキョロしてました。


それでもいいんです。


母の美味しそうに食べてる様子
歯を磨いてる様子が見れるだけでも


涙が出るくらい嬉しかったです。


そんな認知症の母でも、頑張って生きている
という姿を見ていられるだけで
私はとても嬉しかった。


母の姿がある限り、常に母を見守っていたい
という気持ち


フェースタイムがとても活躍しました。


ありがとう、アップルさん〜 🍎
❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊


その後1週間くらいたった米国時間の早朝に
日本の家族から連絡有り


「母の様子がおかしい」と。


その日、母はすぐに入院でした。


脳梗塞が発見されました。


点滴開始です。


病院でもフェースタイムで
母の様子を見せてもらいました。


最初の頃は、ピースサインができた母✌️


まだ ’ハイ、ポーズ!’ ができた母です。


でも徐々に、歩くこともできなくなった


一人で食べることもできなくなった
固形物を飲み込めなくなった。


1日中、眠ってばっかりの母となる。


私は、すぐにでも帰国すべきなのかと
いろいろ悩みました。


病院で、また母の世話がしたい
そばに居て、母を安心させてあげたい


今すぐに帰ってあげるべきだと…


でも反面、すぐ母は元気になる、絶対に‼️
と私は信じていたとこもあるんです。


もうちょっと様子をみてからにしよう
と、賭けの気持ちも少しありました。


母も元気になってみせると
頑張ってた姿をこの目で見ました


母のガッツ精神はすごかった


母からのイーメールで


”もう少し生きていたいわたしとあなたと…”
と、私宛に書いてきました。


でもそれが母からの最後のイーメール
となりました。


それは去年の8月でした。


まるで今ここに書いておかないと
もう娘にイーメールできなくなると
わかってたんでしょうか?


私は、まさかこんな状態になるとは思わず
母に、”ここ、字が脱けてるよ〜” と
冗談で母に返信しました


ここから私のさらなる葛藤…


母がダメになるかもしれない


でもまさか、あの健康優良婆できた母が
ここでダメになるわけはない!


もうすぐ退院して、またデイケアサービスで
リハビリがんばるよ、ねっ!


そして私の2ヶ月後の日本帰国時には
2人で富士山の見える温泉に行って楽しもうよ


いい思い出つくろうね、ねっ!


絶対、そうなると信じていた私でした。


あるいは奇跡にしがみついていたのかも。


でもその奇跡は実現することなく
入院して1ヶ月が経とうとする11月


母は、自分に何が起こっているかもわからぬまま
あの世へ逝ってしまいました。


原因はやはり脳梗塞でした


次から次へと脳梗塞が発症と、後で診断…


医者から母の容態変更の連絡が入って
私はすぐに日本へひとっ飛び


スーツケースは、ほぼ空っぽの状態で。


母の身体の温かみをこの手で感じることができたのは
せめてもの幸いです。


母の最期の吐息には間に合わなかったけど…


お母さん、今までありがとう!
と、直接伝えることできなかったのは
とても残念で残念で仕方ありません。


でも周囲の者は言ってくれました


アメリカから母の入院する病院に到着するまで
母は待っていてくれたのよって。


私が病院に到着するほんの数分前に
息を引き取ったらしいんです。


私の里帰りの時、空港に到着するまで
ソワソワと私の安否を心配していた母


今回も、私が日本に無事到着したと確認するまで
きっとあの世へは逝けなかったんでしょう


と、思う時があります。


でもですね〜 悲しくて、寂しくて
虚しい毎日を送っています。


心に穴が空くということは
この私の状態のこと?


ほんとに心が空っぽになった感じです。


今までも悲しいこと一杯あったけど
これ程の強烈な悲しみ、虚しさを
感じたことないです。


母親の死は、次元が違う!
父はまだ生きてるから比較はできないけど。


時々、胸が痛くなったり
左上半身に神経痛みたいな痛みが走ります


このままでは、壊れていきそう!
ダメダメ。。。と思いながら


ショッピングへ行ったり
わざわざ手の込んだ料理を作ったり
ジムで通常のスピードよりも早めに走ったり


とにかく母の死ばかりを考えていたら
良くないですね。


こういう時、英語で ’Life goes on!’ と言います


どんなことが起きても、人生は止むことなく進行中
って意味で使われます


そう、確かにそうです!


それ、わかっていても…つい
母の事を思うと号泣してしまいます。


あまりにも、母が可哀想
まだ生きていたかった母なのに…


もっとたくさん母との思い出を作りたかった


もっと母の面倒を看てあげたかった


子供らが独立して、夫と2人だけになった今
長期の里帰りで、ゆっくり母と2人で楽しい思い出作り
に励むつもりでいたのに…


一緒に旅行したり、美味しいもの食べたりと
楽しみにしてたのに…


また次回、つぶやきます〜