それいけ、アラカン💜 

😂思えば遠くへ来たもんだ〜 とつぶやくアラカン。
母の死をきっかけに、ますます心のつぶやきが多くなったこの頃、
悲しみ、憤り、喜び、そして アメリカ生活での様々な情報を、思うがままにつぶやいています。🍷


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去年の今頃… 💫

日曜の朝は、朝食を食べながら
朝から録画したニュースを観ます。


TVをつけると、やはりどのチャンネルも
ハリケーン アーマのニュースです。


最小限の被害で、早く通り過ぎて
欲しいものです。



明日は、9月11日


16年前、同時多発テロ事件の
あった日です。


アメリカでは、ナイン • イレブンと
呼びますが


あの時のショックは
はっきりと覚えています。


朝早く、仕事へ向う旦那から
電話が入りました。


「Turn on TV now!
すごいことが起きてる…」


私は、下の子を学校に送って行く
用意をしてました。


子供は、学校の準備で
テレビの部屋にはいなかった。


テレビをつけると、突然あの恐ろしい画像が
目の前に飛び込んできました。


あまりのショックで
信じられなかった!


そのまま静止してしまうくらい
信じれなかったです…


子供には、学校前だし
何も言わずに学校へ送っていく。


家へ戻ってからは、1日中ニュースを
観ていたのを覚えています。


義理の妹ファミリーが
当時、双子の赤ちゃんを産んだ後で
NYCマンハッタンに住んでました。


家族全員、無事でした!


でも、彼女の旦那の仕事場が
崩れたビルの近くで、全てを目撃したと…


彼は真っ白になって
長い道のりを歩き、やっとの思いで
家にたどり着いたと


一度だけその事を
話してくれたことがあります。


今は、その会社も辞め
ニュージャージーに住んでいますが


思い出したくない事
一杯あるのだと思います。




そうそう、去年の9月11日って
仕事を辞めて日本へ帰った日です。

母の調子がどうも変だぞ、って
家族から連絡があったのです。


母とは、ずっとフェースタイムで
普通に話してたんですがねっ



下の子もアパート住まいが始まるし
私もエンプティーネスター
熟年夫婦の生活に入って自由になる


「日本にもしょっ中行けるし
旅行でもして思い出一杯作ろうよっ!」


やっと実行できる時が来たというのに…


「まだまだ!」


そう母に、言いつづけた私です。



7、8月には、脱水症状を何回も起こし
救急車で何回も運ばれました。


そして、幻覚が時々見え出し
周りを驚かせる事を言うと連絡も入る


それを聞いて即、グーグルしまくったのを
覚えています。


症状、原因、薬、自然療法
家族の対応、病状、病気、原因…


医療サイトで、ある程度の知識は得ても
どれが母の状態に当てはまるんだろ?



とうとう、初めての医者との面会が
13日に決定しました。


絶対、それに間に合うようにと
日本へ飛び立ったのが去年の9月11日。


もう1年前になるんですね〜


時の経つのは本当に早くって
これも信じられないくらい!



去年の今頃は、娘の大学3年の始まりで
ちょうどNorCalに車で連れて行った後のこと


そして、母の世話をするために
私の仕事もちょうど辞めたところでした。


あーあ、この時期って個人的にも
何故か悲しい思い出が多いなっ`


大学新学期で、娘としばらくお別れも
寂しかったけど😢


母が崩れていくのを見るのも
すごく辛かった‼️


でも、最後の最期まで
母は絶対復活する


そう信じていたのは
私だけなのでしょうか?


これって子供の親に対する
(拒絶)本能?


未だにそれを考えます。


本当に最後の最後まで
ずっと健康優良婆だった母は
元に戻るんだと信じて…


緊急で帰った11月も
お葬式のスーツを持って行かず


そう、母が崩れていく拒絶反応を
強く持ち続けた私でした


「Not now!Not now!」


そう、叫んでいたのでしょうね
心の中で…



趣味だった母の野菜畑にできたカボチャ


画像は、全部母が撮ったものを
使っています。


この家には、90近くになる父が
一人で住んでいるんですが


隅に作っていた畑はもう無いです!


綺麗に咲いてた花も取り去り
芝生だけを植えてます


父がゴルフの練習できるように〜